モバイル近赤外線分光器で何を測定しますか?


著者���マイク・ウォーカー(Mike Walker:TI DLP製品事業部開発マネージャ) 

当初は研究室を中心に利用される技術であった分光器は、それから大きな発展を遂げてきました。ハンドヘルド型の近赤外線(NIR)分光器は小型化と低コスト化がますます進んでいますが、その理由の1つに、MEMS部品を活用した新しいシステム・アーキテクチャの登場があります。では、こうしたハードウェアの最適化によって、今後の分光器産業における簡素化とポータブル化がどのように進んでいくのかを考えてみましょう。

NIR分光器

分光器は、測定対象とするサンプルの成分を、さまざまな波長への応答に基づいて特定する、強力なツールとして利用されています。特にNIR分光器は、一般的には780~2500nmの波長域に含まれる光を利用してサンプルを励起します。サンプル材料の物理的状態に応じて反射率測定(固体)と吸光測定(液体と気体)のいずれかを利用することで、スペクトル応答を測定できます。 

780~2500nmの範囲に含まれるスペクトル特性の大部分は、O-H、C-H、N-H、S-Hなどの水素結合で占められています。このことから、NIR波長帯は食品および農業の監視、健康状態の診断、石油化学プロセス、医薬品製造などに特に適していると言えます。分光器の応用例にはそれぞれ、NIR波長帯の範囲内での波長域や計量化学分析に関する固有の要件があります。例えば、900~1700nmの機器では水(H2O)とショ糖(C12H24O12)の含有量に関する情報が得られます[1]。機器の波長域を2500nmまで広げると、さらに多くの有機化合物の特性情報が得られるようになり、製剤工程では監視結果を改善することができます[2]。

機器の部品表(BOM)コストの総額は、どの波長域を選択するかによって異なる場合があります。短波長NIRシステムでは、1050nmまでの測定用に安価なシリコン検出器を利用できます。1050nmを上回ると、たいていの場合は、それより高価なインジウム・ガリウム・ヒ素(InGaAs)検出器が必要になります。1700nmを超えた場合、通常はInGaAs材料に冷却が必要となり、特にマルチピクセルのリニア・アレイ検出器では、性能要件を安定して満たすために不可欠です。より高価なInGaAs基板に加えて冷却機構も必要なことから、InGaAsリニア・アレイ技術には、場合によっては低コストのハンドヘルド機器を実現する妨げとなるほどのコストがかかります。 

分光器のアーキテクチャにおける技術革新

InGaAsアレイ検出器を使った従来の分散型分光器のコスト面の課題に対処するため、NIR分光器に関する技術革新の多くは、システムの構成部品の数を削減することに重点が置かれてきました。その一例に、分散型回折格子リレーを線形可変フィルタ(LVF)に置き換えるという方法があります。このLVFアーキテクチャの場合、光処理能力は低下しますが、一方で回折格子から検出器への経路が不要になるので分光器の占有面積を大幅に縮小できます。光学設計上の技術革新には、他に透過型回折格子アーキテクチャを用いたものがあり、この場合は光損失を最小限に抑えながらシステムの占有面積を有効活用できます。さらに別のアーキテクチャでは、走査型回折格子を利用して光を単一点検出器に直接送ることで、前述したマルチピクセルInGaAsアレイを不要にしています。単一点検出器は、コスト、サイズ、性能の面でアレイ検出器よりはるかに優れています。

単一点検出器の使用と併せて分光器のアーキテクチャ内にMEMSを導入するという方法は、コスト削減とポータビリティというテーマに基づいたものです。堅牢なMEMS部品を分光器の光路に組み込むことで、機器の占有面積の縮小と新たな性能の追加が同時に実現できます。MEMS部品を選ぶ際に考慮すべき重要なポイントには、信頼性や大量生産時の安定性などがあります。

実績のあるMEMS技術の例としては、テキサス・インスツルメンツのDLP® NIRチップセットが挙げられます。この技術では、コンパクトでプログラム可能な高性能分光器を実現するために高忠実度の光変調機能を採用しています。特に、TIのDLP 2010NIRDLP 4500NIRは、アダマール・パターンやスルー・スキャンの動的プログラミングなど、波長制御に関する魅力的な新機能を備えています。その他の新たなMEMS技術では、ファブリー・ペロー干渉計とマイケルソン干渉計が、機器のアーキテクチャの簡素化に役立つ技術として期待されていますが、信号対雑音比と解像度指標に関して研究室レベルの性能要件を満たすためには、まだ解決すべきがあります。 

分光器のアーキテクチャには他にも数多くの選択肢がありますが、MEMS技術の魅力はますます確かなものになっています。MEMSを基にしたアーキテクチャを用いることには、動的プログラミング、コスト削減、シングル・ポイント・ディテクタの使用、大型の可動部品の排除など、いくつかの利点がありますが、これらは信頼性の高いシステムインテグレーションと組み合わせることで、実地利用の際にさらに大きな利点となります。

 

1:このテキサス・インスツルメンツ製DLP NIRscan™ Nano評価モジュールには
DLP 2010NIR
が内蔵されています

 

モバイルアプリケーションと業界の展望

コンパクトで高性能なNIR分光装置の登場によって、「その場」での測定が個人ユーザーと企業の双方にとってメリットになるような実地応用例が生み出されました。このような分光器を、Wi-Fiを介してクラウド・データベースにつないだり、モバイル・デバイスを介してBluetooth®やWi-Fi接続につないだりすることで、サンプルを測定する際に研究室の予測能力を最大限に活用できます。この場合、システムに組み込まれた分光器は、ネットワークの外縁に置かれた高性能の光学センサーとして機能します。このようなクラウドへの高忠実度データ集約が分光器のハードウェアによって容易になるとすれば、モノのインターネット(IoT)によって処理効率は劇的に向上する可能性があります。先駆的なIoTモバイル・センシングの応用例には、食品の安全性管理、農業の遠隔監視、医薬品製造工程の監視などがあります。

NIR分光器産業において最も期待されるトレンドは、オープンソース・モデルでしょう。 テキサス・インスツルメンツConsumer PhysicsSi-wareなどの最先端技術の開発企業では、さまざまなソフトウェア開発キット(SDK)をリリースして技術革新を後押ししています。産業用IoT用途向けの低コストNIR分光器のアーキテクチャを他に先駆けて開発している企業の一例としては、KS Technologiesが挙げられます。同社は、図1に示したDLP NIRscan Nano評価モジュール用に無料のiOSおよびAndroidアプリケーションとSDKを提供しているほか、モバイル・データ・システムとIoTインフラストラクチャに関して蓄積してきたノウハウを、新たに生まれつつあるNIRセンシングの市場に生かす取り組みも行っています。

同社が提供するアプリケーションやSDKは、使用するプラットフォームの低コストかつオープンソースの性質から大学の計量化学の専門家との共同研究にも最適であり、さらに知見を深めるために役立ちます。このように、手頃な価格のハードウェアとオープンソースのソフトウェアの組み合わせはアルゴリズムと計量化学手法の開発を容易にし、それがまたNIR分光器のエコシステムを強化することにつながります。今後の分光器産業における成長と技術革新は、専門家間の継続的な共同研究にかかっています。 

NIR分光器による分析の持つ可能性の大きさから、業界では、この高性能分析の利用の場を研究室から現場へと移すことに目が向けられてきました。その結果として実現したNIR分光器のアーキテクチャの飛躍的進歩は、革新的なモバイル測定機能という新たな波を呼んでいます。この技術革新は、21世紀のモバイル・トレンドに合致するものであり、またIoT革命とも必然的に交差する部分があります。研究室でしか利用できなかった高価な分光器が、手のひらの上で正確なデータを出力するようになったとしたら、あなたは何を測定しますか?

[1]B.M. Nicolaı他 『Postharvest Biology and Technology』誌46巻(2007年)、99~118ページ

[2]Chang, Cheng-Wen 『Near-infrared reflectance spectroscopic measurement of soil properties』(2000年)、Retrospective Theses and Dissertations、論文12315

※DLPはTexas Instrumentsの登録商標です。その他すべての商標はそれぞれの所有者に帰属します。

著者紹介:マイク・ウォーカー(Mike Walker)
TI DLP製品事業部開発マネージャとして分光器事業を牽引。赤外線センシングにおける画期的なアーキテクチャの導入に注力。過去30年以上にわたりTIにおいて、数々のテクノロジおよびビジネス・チームを統括。DSP、ASIC、 FPGA, メモリ、高性能データ・コンバータなど、多様なテクノロジの経験を有し、宇宙航空からワイヤレス・インフラストラクチャやディスプレイ・テクノロジまで、広範におよぶ技術開発に関わる。

※2016年7月27日マイナビニュース掲載のテキサス・インスツルメンツ寄稿記事を転載

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